何かを得るために、何かを手放す。中1息子の『潔い引き算』に学ぶこと

長男が中学校一年生になり、勉強の難易度がグッと上がりました。

帰宅すると30分ほど休み、すぐにダイニングテーブルでテキストを開く長男。「明日は国語と英語の小テストがあるから」「明後日は理科の単元テストだから、ドリルをもう一度解き直そう」と、毎日スケジュールを立てて頑張っています。

小学校の頃は、帰宅後に少し宿題を済ませれば、あとは大好きな本や漫画を読んだり遊んだりしていても、テストでは当たり前のように90点や100点を取っていました。しかし、中学に入ると毎日これだけ必死に取り組んでいるにもかかわらず、初めての定期テストの結果はギリギリ平均点。

「こんな調子で、これからの受験は大丈夫なのだろうか……」 親子でそんな焦りを感じ、数学は近所の進学塾に通い始めることにしました。

さらに、週3日の部活動(卓球部)があり、月に1回は大会もあります。 「やってみたい」と彼が初めて自分で言い出し、小学校から地域のクラブに通っている卓球。決して強くはありませんが、長男は他人との競争ではなく、「自分の内なる探究心と自己満足」を追求するタイプです。好きなことを、好きなだけ、自分のペースでやり切ることが、彼の生きるエネルギー(ガソリン)のすべて。

だから、試合で負けようが弱かろうが、本人が楽しんでいるならそれで十分。そう思って見守っています。

そんな目まぐるしい毎日を送るなか、先日、長男が「ピアノをやめたい」と切り出してきました。

ピアノは小学校1年生の頃、私が「やらせてみようかな」と始めたものです。じっと座っているのが苦痛だった低学年の頃は何度もやめそうになりましたが、なだめすかして続けてきました。高学年になると、大好きなアニメの主題歌を弾く楽しさを覚え、なんとかモチベーションを保ってここまで継続してきたのです。

クラシックの基礎を飛ばして好きな曲だけ弾くのは、ピアノの王道教育からは外れるのかもしれません。でも、私は息子をピアニストにしたいわけではありませんでした。 「正しい教育」に押しつぶされて音楽そのものが嫌いになってしまうことの方が、よほど本末転倒です。

私が息子にピアノを贈ったのは、大人になったときに、

  • ふとギターを手にとって気分転換をしたり
  • 趣味のバンド活動で、異なる世代や職業の素敵な人たちと出会ったり
  • 将来、パートナーの誕生日にちょっとした曲を演奏して喜ばせたり

そんな風に、人生のなかに「金にはならないけれど、心を豊かにしてくれる余白」を持ってほしかったからです。実際、私自身も大人になってから、音楽やものづくりを通じて、仕事だけでは決して巡り会えなかった大切な仲間たちと出会うことができました。

けれど、長男の口から出たのは「忙しすぎて練習時間がとれない。勉強と卓球をもっとやりたいから、やめたい」というはっきりとした言葉でした。

ピアノの先生に相談したところ、「12月に発表会があるから、区切りとしてそこまで頑張って、終わってからやめるのはどう?」と提案されました。

最初は「確かに、それも一理あるな」と思いました。 しかし、よくよく考えてみると、長男は「誰かに演奏を披露して感動してもらうこと」を求めるタイプではありません。自分が弾きたい曲を、自分の手で弾ききれたらそれで満足する「自己完結型」です。

それなら、秋冬の定期テストや部活の忙しさに追われながら、無理に12月まで引き延ばす価値はあるのだろうか。ただただ慌ただしく日々が過ぎ去り、「あー、やっと終わった……」と雑な達成感だけで終わってしまう気がしました。

そこで、「いま練習している曲を、時間のあるこの夏休みの間に完成させ、本人が自己満足できた時点でピアノを卒業する」という決断を下しました。

何かを得るためには、何かを手放す必要があります。 物も、時間も、やるべき仕事(To Do)も、常に新陳代謝させて断捨離していかなければ、本当に大切なものにリソースを注げません。

ついつい新しい仕事ややることを増やしがちな私。 自分のこととなると客観視できず、抱え込んでしまいがちですが、息子の「今、自分にとって何が一番大切か」を見極めてスパッと決断する潔さに、ハッとさせられました。

自分の心に正直に、引き算ができる強さ。 私も、息子のように少しずつ、身軽で潔い選択をしていきたいものです。

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