親戚のおじさんから飛んできた、突然の「金の釣り糸」
先日、親戚の集まりで団塊世代のおじちゃんと話していた時のことです。普段はとても慎重で保守的なおじちゃんから、突然こんなことを言われました。 「金(ゴールド)が下がったから、今のうちに買ったら?」
珍しい話題を振ってきたなと思いつつ、私は経済や投資の話が好きなので、知っている知識で普通に返事をしました。 「実物を買うなら、東南アジアとかで買う富裕層がいるみたいだよ。あっちの方が日本より安いらしいって聞いたことがある。でも、現物を持つと盗難の心配があるから、今なら金の投資信託(ETF)とかの方が手軽でいいんじゃない? おじちゃんは下がったと言うけど、長期のチャートで見たらかなり上がってるよね。私はそこまで回せる資産がないから、まだ買えてないけどね」
するとおじちゃんは、私の返答が予想外にロジカルだったのが面白くなかったのか、急にこう言ってきたのです。 「じゃあさ、アメリカのラッパーみたいに、じゃらじゃら首から金をぶら下げたらいいじゃん(笑)」
正直、「え? どうした?」と思ってしまいました。 向こうから振ってきた話題だし、こちらは「一攫千金を狙って金を買いまくりたい!」なんて一言も言っていません。なのに、まるで「知識のない若者が浅はかに金に飛びついている。そんなに金が欲しいなら首からぶら下げればいい」とでも言いたげな、妙な絡み方だったからです。いやいや、バブル世代じゃあるまいし、私たち氷河期世代は金を首から下げたりしませんって。うちら「割を食わされた世代」って呼ばれているの、ご存じでした?(笑)
そこで私は感情的にならず、淡々とゴールドという資産の本質を伝えてみることにしました。 「おじちゃん、私はNYのスラムのラッパーじゃないからさ、そんな首から金をつけても重いだけだよ(笑)。そもそも金って、キャピタルゲイン(値上がり益)で儲けるために買うものじゃないらしいんだよね。戦争やハイパーインフレみたいな『もしも』の時に、自分の資産を減らさないための防衛策として持つものなんだって。それに、利益が出た時の税金も結構高いらしいよ。億を超えるような資産家ならともかく、私みたいな一般人が数十万、数百万ぶんの金を買ったところで、資産全体へのインパクトはそんなにないみたいなんだよね」
そう言うと、おじちゃんはハッとした顔をして、 「あー、そうかー。税金かー……」 と、やっと新しい知識を得てスッキリした様子で、そのまま別の話題に移っていきました。
マウントの裏にある、切ない「イライラ」の正体
後から一人になって、あのモヤモヤする絡みの正体について考えていました。
いっそのこと、 「投資なんかやってないで、俺たちみたいに朝から晩まで真面目に働け! 俺たちは一生懸命働いたから年金があるんだ。お前たちの老後は年金もなくて悲惨だぞ」 と、真正面から年下を否定して、高度経済成長時代の優越感に浸ってくれた方が、まだ分かりやすくてマシです。
今の現役世代や氷河期世代の私だって、朝から晩まで必死に働いてきました。ただ、人口減少と少子高齢化のなかで、おじちゃんたちの世代と同じように年金がもらえる保証がないから、自分の老後は自分で運用して守るしかない。ただそれだけのことです。 それに、おじちゃんたちが今こうして年金で暮らせているのだって、自分が若い頃に払った保険料を、国(GPIF)や基金が世界中の株や債券で必死に運用して増やしてくれているおかげでもあります。
それなのに、なぜあんな風に、少子高齢化と失われた30年を必死に生き抜こうとする若い世代に、わざわざ釣り糸を垂らすような遠回しなマウントを取ってくるのか。
ふと、最近のおじちゃんの姿が頭に浮かびました。 最近は「腰が痛くて動けない日がある」「疲れちゃってもう海外旅行は行けない。若い時にもっと行っておけば良かった」とこぼすことが増えています。
あぁ、そうか。 おじちゃんは、歳をとって自分の体が思うように動かなくなっていくことに、焦りとイライラを抱えているんだな、と気づきました。だから、自分に比べて健康で、これから先が長くて、やろうと思えば何でもできるように見える若い私に対して、無意識に突っかかってしまったのかもしれません。 そう考えると、あの不可解な絡みも、なんだか合点がいくのでした。
桐谷さんロードか、それとも「出家」か
私もいつか歳をとり、今のように体が動かなくなる日が必ず来ます。その時、同じように若い人にひがんで、余計なマウントをとるような大人にはできるだけなりたくない。――なりたくないけれど、心の余裕をなくせば、明日は我が身なのかもしれません。
そう考えると、目指すべきはやっぱり、あの株主優待でおなじみの「桐谷さん」です。年齢なんて関係なく、自分の足で自転車を爆走させて、頭をフル回転させて人生を使い倒す。あんな風にチャーミングに老いることができたら最高です。
ただ、私は自転車に乗るのが致命的に下手くそです。あそこまで上手にママチャリを乗りこなせる自信はありません(笑)。私がやったら高確率で、見ず知らずの運転手に多大な迷惑をかけながらのあの世行きになってしまいます。いやいや、ダメ、絶対。死ぬなら誰にも迷惑をかけずに自然死が鉄則です。
となると、桐谷さんロードは諦めるしかありません。 だから私の場合は、死ぬまで大好きなダンスを周りの人たちと一緒に踊りまくって心身を解放するか。 あるいは、朝から晩まで大好きな縫い物や作業に無心で没頭し、お気に入りのポッドキャストを聴きながら、外界のノイズから遮断された世界でひっそり暮らすか。もしくは、写経のようにシケモクブログを書きまくるか。 そのどちらかがいいな、と思っています。
そこで、ハッと腑に落ちました。 「あぁ、だから昔の人は、歳をとったら『出家』したんだな」と。
世俗の人間関係の摩擦や、自分の体の衰えに対するイライラ。そういうすべての執着から離れて、静かに自分の世界(精神世界やものづくり)にこもる。それは、自分自身の心を穏やかに保ち、周りに害を与えないための、先人たちの究極の「暮らしの知恵」だったのかもしれません。
世間のノイズや、誰かの不機嫌なマウントに振り回されるのはもったいない。 私も自分の足元を賢く守りながら、歳を重ねるほどに、軽やかで静かな「自分の聖域」をコツコツと作っていきたいなと思います。


