先日、茨城高専(国立の高専です)の学校見学に行ったときのことです。
案内してくれた高校1年生(高専1年生)の男の子に、将来の進路や夢について聞いてみたら、こんな答えが返ってきました。
「自分は早く起業してお金持ちになりたいんです。だから高専を出たらすぐにJAXAみたいな年収の高いところに入って(年収1,600万円とか?)、タネ銭をしっかり貯めてから起業したいんですよね」
ものすごく素直で、真面目で、一生懸命に自分の未来を考えているのがひしひしと伝わってきました。 高専の学生は、普通の高校生やある意味では大学生よりも、ずっと早い段階から就職や実社会を意識して日々を過ごしています。そういう意味ですごくリアリストで頼もしい。けれど、どれだけしっかりして見えても、彼らはまだ15〜16歳の子どもです。
その言葉の節々から、「社会のリアルな仕組み」と「いま10代の間で流行っているらしい起業の熱気」のチグハグさが透けて見えて、私は思わずこう返しました。
「起業って、自分のアイディアに共感してくれる投資家からお金を集めて実現する方法もあるんじゃないかな? 特に理系のものづくりはお金がかかるから、自分のお金だけでやろうとすると妥協して小さくまとまっちゃうかもしれないし、自分で貯めたお金を一発で失ったらきついし。人の資本を使って自分のリスクを抑えて、思い切り挑戦する道もあるかもよ。もし進学したい気持ちがあるなら、起業のために勉強を妥協して就職を急がなくても、勉強が好きなら大学へ行ってもいいんじゃない?」
その先輩は「あー……!」と、まさに目から鱗が落ちたような顔をしていました。
その素直な反応を見つめながら、私はふと胸がざわついたのです。 「あぁ、さては今、この子たちの周りでも『起業』がキラキラした正解のトレンドとして流行っているんだな」と。
四国にできた「話題の新設高専」への違和感
そんな折、徳島県神山町に新設された私立「神山まるごと高専」のニュースを目にしました。
堅実に技術者を育ててきた従来の国立高専とはまったく異なり、「テクノロジー×デザイン×起業家精神」を前面に掲げ、名だたるIT企業の起業家たちが100億円規模の基金を集め、授業料を実質無償にして15歳から起業家を育てるというコンセプト。倍率も約10倍に達し、メディアでは新しい教育の旗手として大絶賛されています。
でも、投資をかじり、ものづくりの地道な手触りを知る身からすると、どうしても拭えない「不気味さ」を感じてしまうのです。
この学校が醸し出している空気は、まるで「実績(BPS=純資産)がまだ何もないのに、メディアの演出と期待値だけでPER・PBRが異常な高値に釣り上がったグロース株」のようです。
15歳を集めて「1発大化け」を狙うインベスター思考
なぜこんなにも胸騒ぎがするのか。その正体を突き詰めていくと、経営陣の根底にある「インベスター(投資家)思考」に行き当たります。
VC(ベンチャーキャピタル)のビジネスモデルは極めて冷徹です。 「10社に投資して、9社が討ち死にしても、1社がユニコーン(大化け)になればファンド全体としては大成功」。 これは、リスクを理解し、失敗しても自己責任の取れる「大人の起業家」を相手にするなら健全な資本主義のチャンスです。
しかし、それをまだ人格も心も固まっていない15歳の子どもたちに適用したらどうなるでしょうか。
日本中から原石を集めて、「夢を見ようよ!」「お前には事務所(基金)の期待がかかっているんだ」とプレッシャーをかけ、大化けしたら「我が校の生んだ天才起業家」として大人のトロフィーにする。 これはまるで、ステージママや芸能事務所の敏腕プロデューサーが、10代の子どもに大人の夢とプレッシャーを背負わせて働かせている構図に見えてしまうのは私だけでしょうか。
大人の投資家にとっては、自分が投資した10人のうち1人が大化けすれば御の字です。 けれど、親からしてみたら大化けしなかった「残りの9人」の人生の帳尻は、誰が取ってくれるのでしょうか。
アイデアを出し尽くして燃え尽きた子、プレゼン競争に馴染めず自信を失った子、地味だけど一生モノになる「泥臭い基礎学力や手仕事の技術」を積み上げないまま20歳で放り出された子(→これが一番嫌)。 もしそれが我が子だったら? 自分の子どもの人生が、大人の投資家のポートフォリオの「損切り枠」にされたら、親としてたまったものではありません。
シリコンバレーの廃墟を見てきたからこそ
2001年頃、私は、ITバブルが崩壊した直後のシリコンバレーに足を運んだことがあります。
少し前まで「世界を変える」と熱狂し、巨額のマネーが群がっていたはずの街。そこに並んでいたのは、誰もいなくなった立派な最新オフィスビルが、ただの「空きビル」として乱立している異様な光景でした。 大きな窓から中を覗くと、人の消えた空っぽのフロアに、乱雑に積み上げられたオフィス家具や機材が埃をかぶって放置されていました。つい最近までここで無数の若者たちが熱狂し、働いていた痕跡が生々しく残っていたのです。
そんなビルを眺めながら、当時一緒にいた現地の友人はこう吐き捨てました。 「こいつらは金を使いすぎたんだよ。立派なオフィスの家賃、高価な家具、最新のパソコン……派手に金を使うから、潰れるときもあっという間さ」
見た目は華やかでPERもPBRも青天井だったけれど、不況の冬を耐え抜くだけの実体(手元流動性や内部留保)がスッカラカンだった、ということなのでしょう。
熱狂のバブルは、いつか必ず弾けます。 今のAI関連の若いテック企業が時代を席巻している様子も、私にはここ30年続いた「新自由主義の最後の開花・熟れきった果実」に見えて仕方がありません。「テクノロジーで一攫千金」「若くして世界をハックする」という時代の空気は、すでに曲がり角の先、崖の端っこまで来ています。
世界はいま、米中対立を背景としたサプライチェーンの再編や、国家が重要産業を囲い込む「国家資本主義」的なフェーズへと潮目が変わりつつあります。これからは個人の身軽なハックよりも、国家と結びついた巨大インフラや大手重工業、確かなサプライチェーンを握る実体経済主体の重い時代に入っていくのではないでしょうか。
そんな時代の転換期に、かつてのシリコンバレーの「残り香」のようなノリで起業家を育てようとするのは、あまりにもタイミングが遅すぎる(アメリカの木に熟れた果実が見えてから後乗りしている)ように見えてしまいます。
長期経営の難しさと、使い捨てられるリスク
そもそも、人生は長いです。75歳くらいまで元気に働くとして、一発大きく儲けることよりも、会社や商売を長期で経営し続けることのほうが遥かに難しい。
設立から20年続く会社の割合は、一般的な中小企業でも約5割と言われています。これがベンチャー企業や新興企業に絞った統計になると、20年後の生存率はわずか「0.3%」程度まで下がるという見方もあります。
ZOZOの前澤氏のように、短期間で急成長させてバイアウト(売却)し、巨額の富を手にする華やかなイグジットをみんな狙っているのでしょうか。だから「長く経営できなくても、太く派手に」というノリなのでしょうか。
けれど、上場を目指すベンチャー企業というのは、ずっと右肩上がりの倍々ゲームのような過酷な成長を強いられ続ける世界です。かつて上場を目指すベンチャーに勤めていた経験から言わせてもらえば、あれは相当な「無理ゲー」です。 現場の努力だけではどうにもならず、たまたまその分野全体が急拡大するような時代の強烈な運(追い風)が必要です。真新しい商権に目をつけてハイスピードで食っていこうとしても、市場が大きくなった瞬間に大手企業に見つかって横取りされるか、プラットフォームのルール変更ひとつで吹き飛ばされるのが現実です。
起業して、スポットライトを浴びて終わりではありません。 せっかくの若さやアイデアを大人たちに吸い上げられ、都合よく使われて捨てられてしまうリスクと常に隣り合わせなのです。
「グロース株」ではなく、一生モノの日常を生きる
漫画『のだめカンタービレ』の中で、フランスの老教授オクレール先生が、主人公ののだめに対して伝えたかった大切な教えがあります。
それは、コンクールで優勝して脚光を浴びることでも、華やかな大舞台で喝采を受けることでもなく、 「コンサートや大きなイベントがあろうがなかろうが、天才と認められようが認められまいが、ずっとピアノを愛して弾き続けること」でした。
理系でものづくりが好きな我が子に対して、私が親として願うのもまったく同じです。 私は母として、彼が興味を持った学びを全力で応援したいし、学費も惜しまず投資していきたい。けれどそれは、彼を一攫千金の「グロース株」として扱いたいからではありません。
一発当てて時代の寵児にならなくてもいい。 誰かにアイデアを搾取されたり、競争で心をすり減らしたりすることなく、 好きなものづくりを毎日心から楽しみ、 地道な技術で一生をかけて社会のために働き、 自分に必要なお金を堅実に稼ぎ、 大切な家族を養い、安全で幸せに暮らす穏やかな日常を繰り返していけること。
大人が仕掛けた眩しすぎる「起業」の熱狂を遠くに見つめながら、私は今日も、子どもの手元にある小さな工作や実験の時間を、大切に見守っていたい、ものづくりの日常を大事に抱きしめていきたいと思うのです。

