「隣人を愛せよ」で育った私のバグ――「貧乏詐欺搾取」と戦うためのWin-Win or No Deal

シケモク珍道中

はじめに:「隣人を愛せよ」が身についていた私

私自身はクリスチャンではありませんが、中高時代をキリスト教系の私立校で過ごしました。そのためか、自分のモラルの根底には、どこかキリスト教的な価値観が染み付いているところがあります。

聖書の「隣人を愛せよ」という言葉のとおり、困っている施設や被災地に寄付をしたり、近所に小さなお子さんがいればサイズアウトしたお下がりを譲ったり、料理を少し多めに作ったらお隣さんにお裾分けしたり――ふと我に返ると、「あれ、私めちゃくちゃ教えを守って生きてるな」と思う瞬間があります。聖書の教えって強烈なのね。。。

この行動自体は、決して悪いものではありません。 ご近所や友人とお互いに助け合える温かい環境が育ちますし、周りの人の平安を望むことで自分の精神も平和的な安定を保つことができます。人と人の豊かな循環を生む素敵な教えてです。

しかし、この「隣人愛」には、長年私を苦しめてきた大きな「バグ(副作用)」がありました。

それが、「テイカー(搾取者)」を引き寄せてしまうという問題です。

私を苦しめた「3つのテイカー」の生態

親切や善意を循環させようとしていると、そこにめざとく群がってくる人たちがいます。彼らは「他人の時間・技術・お金」をタダでかすめ取るプロです。

1. 「困っている風」を装い、知恵と労力を奪い続ける人

「私、XXが全然わからないの」「私つらいの、こんなに頑張ってるのに」と、常に弱者・被害者のポジションを取る人。 助けを求められると、こちらは親切心からやり方を教えたり、手伝ったりしてしまいます。しかし彼らは自分で学んだり改善したりする気が一切ありません。「教えてもらう」「やってもらう」こと自体が目的であり、他人の知識や肉体的な労働力を延々とタダで消費し続けます。本当に困っている善良な隣人とこのタイプの詐欺師を見分けるポイントは、助けてもらった結果、目に見えて状況が改善しても「自分は不幸だから助けてもらうべき」というストーリーが一切変わらないことです。状況も改善し、利益もたくさん出ているのに、変わらず底なし沼の欲と不満を漏らしている姿をみて「あぁ、、、やられた、、、」とはめられたことに気づく私。一番バカ(笑)。底なし沼の欲と不満という病を抱えるテイカーに満足と感謝という文字はないのです。

2. 相場も感謝も知らず、職人の技術を買い叩く人

「腕のいい職人さんを紹介してほしい」と頼まれ、私の顔を立てて安く引き受けてくれる信頼できる職人さんを紹介したときのことです。 相手は他社との相見積もりすら取っておらず、提示された金額がどれだけ破格かも理解していません。それなのに「年金暮らしで一人だから大変なの」という自分勝手な理由だけで、平然と10%〜20%の値引きを要求しました。 現場の片付けすら「一人で大変だから」と怠って職人さんに現場の家具を移動させるという見積もりにない追加業務をやらせ、その分工期が延びたら今度はそれを口実にさらに値切ろうとする。本当に生活が困窮して大変なのであれば、そもそも高額なリフォームを発注するのではなく、自分で工夫してDIYをするなどの選択肢があるはずです。間を取り持ったこちらが恥ずかしくて顔から火が出る思いでした。

3. 「お金がない」を武器にして周囲にたかる人

会うたびに「うち本当にお金がなくて……」と愚痴をこぼす主婦仲間。 ところが暮らしぶりをよく見れば、立派な新築、ピカピカの新車、子ども全員の複数の習い事、家族旅行、さらには数百万単位の外壁塗装まで躊躇なく発注している。「どこがお金ないの?」と眩暈がするほどの高所得・高支出世帯です。 彼女たちは「お金がない」と口先で演出することで、周囲からの嫉妬を避け、あわよくば物品やサービスを格安(またはタダ)で譲ってもらおうと画策します。「くぅーっ!なんてしたたかなんだっ!!(心の声)」

しかし、実はこのスキル、サラリーマン業との相性は、非常にいいです。むしろ必須スキルかもしれません。ライバルの同僚や後輩からの嫉妬を避けつつ、上司や周囲の協力を得て、しれっと昇進を掠め取るというストーリーにフィットするのではないでしょうか。

でも私は、この人を雇っている資本家でも雇われている労働者でもありません。ただの通りすがりのママ友で、しがない零細個人事業主なのです。だから正直あまり近づきたくない相手です。

命名:「貧乏詐欺搾取」という病

この手の人たちが行っている行為を、私は「貧乏詐欺搾取」と命名しました。

本当は持っているのに「お金がない」「苦しい」と虚偽の困窮を演じ(詐欺)、相手の善意や同情心、あるいは「揉めたくない」という穏便な姿勢をハックして、正規の対価を払わずに他人のリソースを巻き上げる(搾取)。

さらにグロテスクなのは、彼女たちが「テレビCMをやっている大手企業や有名チェーンには、何百万円もの中抜き費用を疑いもせず言い値で払う」という点です。まさに労働者として資本家に対するコンプレックスの表れの縮図。 システム化された強者には無抵抗で大金を差し出し、そのシワ寄せを「顔の見える個人の職人」や「断りにくい身近な知人」から値切って取り戻そうとする。 「強者には盲従し、弱者(や優しい人)からは無慈悲に搾取する」という、これ以上なく品のないお金の使い方です。そしてこの手の人は日々これを「特技」「やりくり上手」「交渉上手」というラッピングに包んで正当化して常習的にやっているため、搾取しやすい「自己犠牲の強いお人よし」を見つけるのがめちゃくちゃうまいです。振り返れば、私も何百回もやられちまってますなー。

マルクスが説いた「剰余価値の搾取」を、庶民がやってどうするのか

カール・マルクスは『資本論』の中で、資本主義の富の源泉は、資本家が労働者の生み出した価値から正当な対価を払わずにピンハネする「剰余価値の搾取」にあると指摘しました。

身近な職人や個人の仕事に対して「お金がないから」と値切る行為は、まさにこれと同じです。 自分は「節約に励むかわいそうな庶民」の顔をしながら、やっていることは相手が時間と命を削って生み出した技術や労働の結晶をタダでかすめ取る「冷酷な資本家ごっこ」に他なりません。

正当なコストコントロールとは、相手に一方的な痛みを押し付けることではありません。 「即日現金で払う(資金繰りを助ける)」「材料はこちらで支給する(在庫リスクを助ける)」「現場の段取りを完璧にして相手の手間を減らす(無駄な時間や手間を費やさせない)」「継続して発注する(相手にも仕事を与え続けることで助ける)」など、相手のリスクや負担をこちらが肩代わりするからこそ成立するWin-Winの知恵です。 相手に何のリスク軽減も差し出さず、ただ自分が大変だから、可哀想だからをアピールして相手の良心に便乗して口先だけで値切るのは、交渉でも節約でもなく、単なるカツアゲです。

境界線を引く:「Win-Win or No Deal」へ

「隣人を愛せよ」と教わった人ほど、この「貧乏詐欺搾取」の標的にされ、「断ったら悪いかな」「力になってあげなきゃ」と自分をすり減らしてしまいます。

しかし、相手の理不尽な甘えを受け入れることは、愛でも親切でもありません。 それは相手を「他人の善意に寄生するテイカー」として甘やかし、堕落させているだけです。何より、一番大切にすべき自分自身の尊厳と時間を犠牲にしています。

これに気づくきっかけになったのは、昨年末「13歳から分かる! 7つの習慣 自分を変えるレッスン」という本をある知人が教えてくれたことです。「7つの習慣」の中で著者のスティーブン・コヴィーは「Win-Win or No Deal(お互いに勝つか、さもなくば取引しないか)」という原則を説いています。

お互いに対等な敬意を払い合い、プラスになる関係が築けないのであれば、最初から「取引しない(関係を結ばない・手を引く)」を選ぶこと。

  • 「教えて、手伝って」と際限なく甘えてくる人には、毅然と自分でやらせる。
  • 職人の価値もわからず値切る人には、二度と人を紹介しない。
  • 「お金がない」と嘘をついて値切る人には、正規料金を提示し、嫌なら「買わなくて結構です」と断る。
  • 気まぐれなドタキャンを繰り返す人には、「本当にやりたいのでなければ、もう来ないでください」とピシャリと線を引く。

お互いにWin-Winになれない関係は、遅かれ早かれ縁が切れ、友情もビジネスも死んでいきます。

おわりに

聖書の教えどおり、私はこれからも隣人を愛し、誠実な人たちと温かい循環を作って生きていきたいと思っています。

だからこそ、自分の尊厳とリソースを差し出してまで、テイカーの餌付けをするのはもうやめました。

相手を愛することと同じくらい、自分自身と、自分の大切な仕事や時間を愛すること。 対等な敬意が払えない相手には、笑顔で「No Deal」を突きつける知性を持つこと。

それが、大人になった私がたどり着いた、バグのない(持続可能な)「本当の隣人愛」の作法です。これに気づくのに半世紀近くかかったと思うと軽く絶望です(笑)。これを教えてくれた知人とスティーブン・コーヴィー先生の本に感謝です。

みなさんの周りにも『貧乏詐欺搾取』を仕掛けてくる人はいませんか?

もしいたら、ともに逃げましょう!

光の速度で!!(笑)

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