呑む・打つ・買う・働く――依存の正体である「焦燥感」を手放すまで

シケモク珍道中

昔から、素行の荒い人を「あいつは呑む・打つ・買うだから」と表現することがあります。

「呑む」は酒、「打つ」はギャンブル、「買う」は風俗。これらは依存症になりやすい代表格ですが、対象はそれだけではありません。暴力やパワハラ、買い物、仕事、摂食障害など、あらゆるものが依存の対象になり得ます。

人は放っておくと、何かに依存してしまう生き物なのかもしれません。その根本にあるのは、誰もが抱える「不安」や「焦燥感」です。

私自身、幼少期に母を亡くし、実家の借金問題に巻き込まれて心を病んだ時期がありました。幼い頃の恐怖や、莫大な借金の重圧は、大人になっても生々しく消えませんでした。常に強い不安と焦燥感に追われる毎日。今振り返れば、あれは明らかなPTSDであり、不安障害でした。

若くて体力があった独身時代、私はその不安を誤魔化すために「仕事」に依存しました。

半導体商社で北米担当の営業をしていた頃は、まさに猛烈でした。朝8時半に出勤し、昼は国内対応、夕方はヨーロッパへ営業電話。帰宅して入浴を済ませた深夜12時からは、アメリカと電話会議です。深夜2時に寝落ちして、また朝が来る。月の半分は海外出張でした。

会社の予算目標を追い、刺激と緊張を浴び続けることで、内から湧き出る不安から必死に目を背けていました。いくら成果を出しても、幸福感・安心感はありません。ただ不安から逃げ回り続けるだけの毎日でした。

しかし、結婚して子供が生まれると、そのやり方は通用しなくなりました。

子育てとは、外の刺激に反応する生き方ではありません。淡々と日常を整え、家庭の内側に「安心」を育てる営みです。仕事の刺激で誤魔化せなくなった途端、私は自分の内側からあふれ出す恐怖を処理できなくなり、途方に暮れてしまいました。

転機となったのは、知人に紹介された心療内科での治療です。認知行動療法やEMDRを受けたことで、状態は劇的に改善しました。ある日、過去のフラッシュバックが止まり、「普通の人は、こんなにも静かな世界で生きているのか」と驚いたのを覚えています。その後は自助グループにも通い、回復への歩みを進めました。

それからは、決まった時間に起きて、食べて、眠り、二人の子供を育てる日々を送っています。まるで植物に水をやるように、自分の中に「安心できる場所」を少しずつ育ててきました。

人が健やかに生きるために必要なのは、損得や正しさの理屈ではありません。「不安を煽らないこと」、そして「安心を育てる仕組み」を意識的に作ることです。

  • 危険な依存先: 薬物、アルコール、ギャンブル、買い物、暴力、他人批判、仕事など
  • 健やかな拠り所: 土いじり、散歩、陶芸、裁縫、料理、ものづくりなど

かつてワーカホリックだった私は今、陶芸や庭の草取り、家族の服を縫う時間、家族が喜ぶご飯作りや家の片付けに没頭しています。夫もまた、野菜作りや手織り機に向かうことで心を整えています。

安くて便利な物が溢れる今、「服なんて買ったほうが安いのに」と笑う人もいます。

けれど、手を動かして何かを生み出す確かな実感や、手作りの服を着て笑う家族の姿、そこに生まれる思い出は、お金では買えません。

私にとっての豊かさは、「安さ」や「損得」の勝負ではありません。一番価値のある資産は、自分自身の心と体の健康、そして家族と積み重ねる時間なのです。

タイトルとURLをコピーしました