こんにちは、きくちゃんです。
今回は、私にとって非常に生々しく、かつ「ビジネスの本質」を痛烈に学んだテーマについて書きます。
それは、「星野リゾートのビジネスモデルの裏側」、そして「星野社長が日本の古い観光業に起こした、黒船来航並みのパラダイムシフト」についてのお話です。
実は、私の実家はかつてホテル(旅館)を経営していました。大正時代に田舎から出てきた祖父が銭湯を始め、そこで貯めた軍資金で戦前に隣にあった旅館を買い取ったのが始まりです。戦後の団体旅行ブームで一時はもの凄く儲かりましたが、ブームが去った後の借金はあまりにも重く、親族経営のザル勘定も重なって、最後は同族経営の肉親同士が恨み合う泥沼の地獄を見ました。
そんな「昭和の命がけの経営」のリアルを知る私が、星野リゾートの仕組みを知ったとき、まるで「そろばんしか知らない人が、初めて最新の計算機(電卓)を見た時」のような、凄まじい衝撃を受けたのです。
1. 昭和の旅館経営は「命がけのそろばん弾き」だった
戦後の昭和40〜50年代、日本は空前の団体旅行ブームに沸いていました。会社の慰安旅行や農協の団体が観光バスで大移動する時代。旅館側の勝ちパターンは「宴会場を大きくし、部屋数を増やして、一度に大量の客を受け入れること」でした。
当時は「土地の値段は絶対に下がらない」と言われた土地神話の時代です。銀行は旅館の土地を担保に「もっと大きくすれば儲かりますよ」と、競うように巨額の融資を持ちかけました。
こうして背負った昭和の借金は、すべて「コーポレートローン(遡及型融資)」というものです。 銀行は「人」にお金を貸すため、社長や親族が「連帯保証人」になります。万が一、時代が変わってお客さんが来なくなり、建物を売っても借金が残った場合、銀行は「残りの借金は、あんた個人の財産をすべて差し押さえてでも、死ぬまで払い続けなさい」と、どこまでも(無限に)追いかけてきます。
これが、多くの古い旅館を呑み込んだ泥沼の正体でした。私だけではありません。観光地だった私の故郷の他の旅館もみんな似たような同族経営だらけでした。似たような場所で似たように借金を重ね、みんな厳しい経営の末に次々と廃業していました。そしてそこにあったのは現代の「ビジネス」の世界とは、程遠い、一族の人生や情がドロドロに絡みつく、あまりにも人間臭く、命がけの「そろばんの世界」があったのです。
景気がいいうちはそのそろばんが命懸けのものとも気付きません。どんぶり勘定で会社のお金を使ったり、家族で豪遊したり、ちょっとした町の名士のように扱われていました。しかし時代は流れ、観光ブームは去り、多額の借金をしてリフォームした建物も陳腐化します。
時代のブームの流れの速さと、借金によるリノベーション(時代とお客様のニーズに合わせたバリューアップ)の減価償却のスピードは一緒ではありません。大事な土地と己の人生(借金の保証人)を担保に借りた借金で建てたりバリューアップした建物は、高速で進む時代に置いてけぼりにされ あっという間に陳腐化していくのです。
高度経済成長やバブルでどんどん豊かになり、高速で変化する日本人の価値観を予想し、追いつき、陳腐化しないように先を読みながら投資して、利益を出し続けるのは容易ではありません。
そんな中、ついにバブルが崩壊します。
2. アメリカからやってきた「現代金融の黒船」
そこに呼び出されて現れたのが、星野リゾートの4代目・星野佳路社長でした。彼がアメリカの大学院でホテル経営を学び、日本に持ち込んだ仕組みは、完全に「無機質な計算機(経営システム)」でした。
星野リゾートの最大の特徴は、「所有と運営の分離(アセットライト戦略)」です。 彼らは、全国の不振旅館を再生する際、自社のお金で土地や建物を買い取るようなリスクは冒しません。
- 投資ファンドやREIT(不動産投資信託)が、破綻した物件を割安で買い取り、リノベーション資金(資本)を出す。
- 星野リゾートは、1円も借金をせず、身一つ(ノウハウとブランド)で乗り込んで「運営」だけを請け負う。
つまり、「建物も土地も他人のもの。自分たちはそこを動かす知恵(知的財産)だけを提供する」というビジネスモデルです。
実は、この「所有と運営の分離」という仕組みは、星野社長がゼロから発明したものではありません。日本よりも約20〜30年早い1960年代から1970年代にかけてのアメリカで起きた「ホテルの大量破綻と、そこからの劇的な再生・大転換の歴史」から学んだものだったのです。
星野佳路氏が1980年代後半のアメリカ留学で学んだ、そのドラマチックな背景を紐解くと、星野リゾートの仕組みがさらにすっきりと見えてきます。
アメリカ版「バブル崩壊」:モータリゼーションと過剰投資
1950年代〜60年代のアメリカは、空前の経済好況に沸いていました。高速道路網(インターステート・ハイウェイ)が整備され、誰もが車で旅行する時代(モータリゼーション)が到来します。ここで、日本の観光バブルが弾ける20年も前にアメリカでは日本と全く同じことがすでに起きていたのです。
- 過剰な建設ラッシュ: 「これからは車と旅行の時代だ!」と、全米の地方都市やハイウェイ沿いに、個人経営のホテルやモーテルが乱立しました。
- 銀行の過剰融資: 銀行も「不動産を持っていれば安心」と、ろくに経営計画も見ずにどんどんお金を貸しました。
しかし1970年代に入ると、オイルショックによる大不況がアメリカを襲います。さらに、流行の移り変わりによって「古くなった地方のホテル」には誰も泊まらなくなり、全米でホテルやモーテルが次々と債務不履行(デフォルト)に陥り、大量倒産していったのです。
救世主としての「メガチェーン」の誕生
この時、日本の地方旅館と同じように「借金まみれで、古く、誰も行かなくなったホテル」の山を前にして、アメリカの金融機関や投資家たちも頭を抱えていました。そこに登場したのが、ヒルトン、マリオット、ホリデイ・インといった、当時まだ新興だったホテルの「運営プロ集団」です。彼らは潰れたホテルを次々と自社の傘下に収め、驚くべき方法で再生させていきました。
- 「箱(不動産)」と「中身(運営)」の完全分離: 破綻したホテルのオーナー(または銀行)に対し、「あなたが不動産を持ち続け、リノベーション費用を出しなさい。その代わり、経営はすべて我々プロが引き受ける」という「運営委託契約(マネジメント・コントラクト)」の仕組みを認めさせました。
- 徹底的なシステム化とブランド化: それまで個人経営で行き当たりばったりだった古いホテルに、中央集約型の「全米共通の予約システム」を導入し、効率的な清掃・サービスの「マニュアル」を叩き込みました。
- エグジット(出口)の確立: プロの運営によってホテルが黒字化すると、不動産の価値が上がります。オーナーや銀行は、その上がった価値で物件を別の投資家に転売(エグジット)し、大儲けしました。
この一連の流れによって、アメリカのホテル業界は「不動産業」から「高度な知識集約型のサービス産業」へと脱皮しました。星野社長がアメリカ留学で学んだのは、まさにこの「アメリカが一度血を流して克服した再生の歴史とノウハウ」だったのです。
3. 「借金はたくさんするもの」と言えるカラクリ
星野社長が以前、NHKのテレビ番組のインタビュー番組で「借金はたくさんするもんだと思ってますよ」と笑いながら話しているのを見たことがあります。星野社長と同じように同族経営の旅館の子供として生まれ、過去に旅館経営の借金の重さを知る私は「なんて恐ろしいことを平気で言うんだ…」と身震いしました。
しかし、アメリカが確立したして星野社長が採用したこの仕組みを知ると合点がいきます。
現代のファンドやリートがホテルを買うために組む借金は、多くが「ノンリコースローン(非遡及型融資)」というものです。 これは「人」ではなく「そのホテル(プロジェクト)が稼ぐ力」に対して銀行がお金を貸す仕組み。万が一、ホテルが倒産して借金が返せなくなっても、没収されるのは「そのホテルの建物と土地」だけです。オーナー企業や、ましてや運営している星野社長個人の資産にまで銀行が追いかけてくることは、契約上絶対にありません。
星野社長にとっての借金とは、恐怖の対象ではなく、「自分はノーリスクの安全地帯に身を置きながら、他人の組んだ巨額の金(レバレッジ)で豪華なステージを用意してもらい、美味しい運営手数料だけをいただく」というスマートなビジネスツールなのです。
4. 泥沼の親族経営を断ち切った「冷徹な覚悟」
「元々実家が立派な温泉旅館だったんだから、親の遺産で成功したんでしょ?」と思う方もいるかもしれません。ですが、その移行プロセスは身内と刺し違えるほどの「血のクーデター」でした。
若き日の星野社長は、昭和のどんぶり勘定を続ける父親(3代目社長)や親族と激しく衝突し、一度は実家をクビになっています。クビになった後社長は、サラリーマンとして勤務しています。その後、実家がバブル崩壊で本当に倒産寸前になった時に呼び戻されますが、彼は戻る条件として経営の全権を握りました。
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そして、揉め事の元凶である「親族がバラバラに持っていた会社の株」を、配当をゼロにする、会社の経営がどんどん傾いていく中、配当の出ない経営権利を持っていることで借金の保証人になっている事実を突きつけて怯えさせる・・・などの兵糧攻めで親族が逃げ出したくなったところを徹底的に買い叩きます。そして最終的に親族を全員、力技で経営から排除したのです。
親戚中から「冷酷な裏切り者」と凄まじい非難を浴び、父親とは亡くなるまで決定的な和解には至らなかったと言います。社長の座を得た後の再生方法も衝撃的です。父親が守ってきた先祖代々の古い木造旅館をすべて跡形もなくぶっ壊し、更地にしてから最先端の「星のや 軽井沢」を建てました。
一族の「情」を完全に切り捨て、会社をシステムへと移行させたその覚悟。親の遺産に甘んじるどころか、親の呪縛を自らの手で破壊して成り上がった姿は、ビジネスとしてあまりにも強烈です。
5. 時代の勢いを自分の実力と勘違いしてはいけない
私の実家をはじめ、昭和 of 昭和の経営者たちが倒産していったのは、単に「時代のルールが変わって被害者になった」からではありません。
厳しい現実ですが、「時代の勢いで儲かっているのを、自分の実力で儲かっていると勘違いしていた」。これに尽きるのでは無いでしょうか。
昨今の民泊ブームもそうですが、社会のブームという「時代の大波」に乗ってたくさん儲けたいのであれば、自分も取り残されないように同じ速度で勉強し、変化し続けなければなりません。時代がくれたご馳走を腰を落ち着けて味わってる暇はないのです。自分が乗っている時代の大波のスピードと同じ速度で寝る間も惜しんで自分をアップデートしていく覚悟が必要です。
それなのに、時代が運んできてくれたご馳走を、椅子に座ってゆっくり食うだけで、親族の甘えやザル勘定に目を瞑っていた。それではブームが去った後に置いていかれるのは当然です。ゆっくりしたいのであれば、最初から身の丈に合ったゆっくりした場所で、ゆっくりと稼ぐべきだったのです。
星野社長がバブル崩壊直後の1991年に実家に戻ったとき、彼はただ「アメリカの新しい仕組み」を持ってきただけではありません。
「時代のご馳走に甘え、変化を拒んだ親族(昭和の経営)」の膿をすべて吐き出させ、誰よりも速いスピードで自分たちのビジネスの構造を作り変えたのです。
6. 死ぬまで許さなかった父
星野社長のことを、お父様は死ぬまで許さなかったそうです。「あいつは一族の裏切り者だ」と言い続けていたと言います。
それを聞いて、私は救われる思いがしました。
どんなに優秀な経営者になっても、全てを得ることは、できない。
一族の長として、頑なに昭和の誇りを守ろうとしたお父様のプライド。
一族に憎まれながらも、自分の商売をやり通した星野社長のプライド。
決して交わることがない二人の経営者の意地が、まるで夜空に浮かぶふたつの星のように、眩しく輝いている。
私には、そう見えるのです。
しがらみを断ち切って自分の足で立ち、自分の人生のコントロール権を100%握り締めること。
星野社長の生き方は、単なるホテル経営の話を超えて、「時代の波に溺れず、常に勉強し、変化し続けることでしか、本当の自由とプライドは守れない」という冷徹なビジネスの真実を教えてくれている気がします。
ウホッ。



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