前回のコラムでは東アジアのドM職人ジャパンが、欧米諸国というオーナー経営者が設計した養豚場のピッグファイトシステムにいるという設定で日本の立ち位置を分析し、日本人なりの殴り合わずに生き延びるためのサバイバル術を妄想してきました。しかし歴史を振り返って見えてきたのは、「あれ?日本って今までもそうやって表で頭を下げながら得意の物作りをしてうまいこと生き延びてる?」という事実です。
今回のコラムでは、そんな「意外としぶとい日本」のサバイバルの歴史を紐解き、日本人のDNAを確認してみようと思います。
〜なぜヤクザの親分にタメ口をきいて無傷でノウハウを強奪できたのか?〜
導入:あの有名な手紙、何がそんなにヤバいのか?
歴史の授業で誰もが一度は覚えるフレーズがあります。
「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや」
(太陽が昇る国のボスから、太陽が沈む国のボスへ。ごきげんよう)
聖徳太子が中国(隋)の皇帝・煬帝(ようだい)に送ったとされる手紙です。
教科書では「対等な外交関係を目指した」とスマートに書かれていますが、とんでもねぇっす。当時の東アジアのパワーバランスを現代風に言い直すなら、これは「地方の弱小ヤクザの若頭が、全国を牛耳る巨大マフィアのドンに向かって『よお兄弟、調子どうよ?』と肩を組んだ」に等しい狂気の沙汰でした。
当時の中国皇帝は「世界の唯一絶対の支配者」。朝鮮半島やベトナムなどの周辺諸国は、皇帝の前に土下座して「私はあなたの手下(臣下)です。王として認めてください」と頭を下げてハンコをもらう(冊封:さくほう)ことで、ようやく生存を許されていました。
それに違反して「対等だ」と言い放った日本。皇帝・煬帝は「こんな無礼な手紙は二度と俺に見せるな!」と激怒しました。
では、なぜ使者の小野妹子や送り込まれた留学生たちはその場で首をはねられず、日本は軍隊を送られて滅亡しなかったのでしょうか?
そして、中国側に何の得があって留学生を受け入れたのでしょうか?
そこには、聖徳太子たちが張り巡らせた「冷徹な知能犯的サバイバル術」がありました。
カラクリ1:中国皇帝の「プライドの罠(縛りプレイ)」
中国の中華思想には、絶対の掟がありました。
それは、「偉大なる天子は、遠くの無知な野蛮人に対して圧倒的な徳と慈悲を示さなければならない」というルールです。
隋から見れば、海を越えた日本など「言葉の礼儀も知らないド田舎の未開人」。
もしここで皇帝が「手紙の文面が生意気だったから」という理由で使者を処刑したり皆殺しにしたりすれば、周囲の国々からこう後ろ指を指されます。
「おいおい、天下の皇帝陛下が、無知な田舎者の無礼にマジギレして使者を殺したらしいぞ。なんて器の小さい、徳のない男なんだ」
聖徳太子側は、「大国のトップほど、自分のメンツと『徳の高い支配者』という看板に縛られている」ことを見抜いていました。当時、中国大陸や朝鮮半島の戦乱から逃れて日本へ渡ってきた知識人・技術者(渡来人)たちが、聖徳太子の政権の中枢をがっちり固めていたため、田舎の島にいながらも大国の事情を理解していたのです。
カラクリ2:隋が抱えていた最大の敵「高句麗問題」
もちろん、メンツだけで国は守れません。隋が手を出せなかった最大の理由は、切実な軍事的打算でした。
当時、隋は隣の軍事強国・高句麗(現在の北朝鮮〜中国東北部)との大戦争を控えていました。
もしここで日本と喧嘩して敵に回したらどうなるか?
「日本が高句麗と手を組み、背後から隋を挟み撃ちにしてくる」という最悪の悪夢が生まれます。
隋にとって最優先は高句麗を潰すこと。日本を手下にできなくても、「手厚くもてなして機嫌を取り、敵(高句麗)の味方にさせない」ことこそが最大の防衛策だったのです。
当時、聖徳太子は日本にいながら、中国大陸の情勢を驚くほど正確に把握していました。家庭教師である師匠の出身国が「高句麗(こうくり)」であり、情報がダイレクトに入ってきていたのです。
カラクリ3:留学生は「人質」かつ「将来の工作員」
「じゃあ、なぜ世界最高峰の法律や仏教を日本の留学生に教えたの?」という疑問の答えがこれです。
中国側からすれば、日本のエリート留学生を長安の大都市に招き、圧倒的な文明を見せつければ、彼らは自動的に「中国すげええ! 隋には絶対に逆らえない!」と心服する親中派エリートになります。殺すよりも、洗脳して日本に送り返した方が将来日本をコントロールしやすいという計算でした。
結末:美味しいところだけ全部持ち逃げした日本
隋は「大人の対応で手懐けてやった」つもりでした。
しかし日本側は、土下座(臣下入り)を拒否して独立を守ったまま、「ラッキー! 戦争の都合で手出しできないのね! じゃあ法律も仏教も都市計画も、全部メモって帰国しまーす!」と、最先端文明のデータを丸パクリして持ち帰りました。
こうして持ち帰られたノウハウが、のちの「大化の改新」や律令国家・日本の骨格を作ることになります。
相手の抱える戦争とメンツを冷徹に計算し、ノーリスクで最先端技術をかすめ取る――。
1400年前の飛鳥時代から、日本の「したたかな生存アルゴリズム」はすでに完成していたのです。

