〜プライドを秒速でゴミ箱に捨てて列強を完コピした武士たち〜
導入:昨日まで「異人を斬れ!」と叫んでいた男たちが…
1853年、ペリーの黒船が来航したとき、日本中を包んだのは「攘夷(じょうい)」の嵐でした。
攘夷とは文字通り、「日本を舐めるな! 毛唐(外国人)どもを斬り殺して海へ叩き落とせ!」という極端な排外主義・ナショナリズムです。
ところが、明治維新が起きた直後、街の風景はどうなったでしょうか。
武士たちは自慢の刀を捨て、チョンマゲを切り落とし、シルクハットに洋服を着て、フォークとナイフで牛鍋を食べ始めました(文明開化)。
この凄まじい「手のひら返し」は、一体なぜ起きたのでしょうか?
そこには、「勝ち目がないと悟った瞬間に、数百年の伝統とプライドを1秒で投げ捨てる」という、日本特有のプラグマティズム(徹底した現実主義)がありました。
当時の危機:アヘン戦争の恐怖と「ガチのボロ負け」
幕末の日本人がパニックになったのには理由がありました。
アジアの絶対的盟主だった大帝国・清(中国)が、アヘン戦争でイギリスに惨敗し、領土(香港)を奪われ、ボロボロにされていたからです。
それでも血気盛んな薩摩藩や長州藩の武士たちは、「大和魂があれば白人など恐るるに足らず」と息巻いていました。そして実際にドンパチをやらかします。
- 薩英戦争(1863年): 薩摩藩がイギリス艦隊と砲撃戦を展開。鹿児島城下の一部が火の海に。
- 下関戦争(1863〜64年): 長州藩が海峡を通る外国船を砲撃。英米仏蘭の四カ国連合艦隊にボコボコにされ、砲台を占領される。
立ち回り:「あ、これ無理だわ」からの秒速転換
普通、強烈なプライドを持つ民族や国家は、ここで意地を張って全滅するまで戦うか、ゲリラ戦泥沼化の末に植民地化されます。清やオスマン帝国、中東諸国がたどった道です。
しかし、日本の武士たちは違いました。
大砲の射程距離と威力の圧倒的な差を目の当たりにした瞬間、彼らは脳内で電光石火の計算を行いました。
「……あ、これ刀振り回しても100%勝てないわ」
その悟りの早さは異常でした。
薩摩藩は、戦争が終わったわずか数ヶ月後にはイギリスと和睦し、「すいません、さっきの大砲めっちゃ強かったんで、うちにも何発か売ってくれません?」と武器の買い付け交渉を始めました。
長州藩の高杉晋作らも、四カ国連合艦隊との講和談判をまとめると、即座に西洋式軍備の導入に舵を切りました。
昨日の仇敵が、今日の武器商人であり家庭教師になったのです。
したたかポイント:世界最強のパーツを「いいとこ取り」で完コピ
政権を握った明治政府の行動は、さらに徹底していました。
「日本の伝統精神を守りながら…」といった中途半端なこだわりは一旦脇に置き、「世界最強の国々のシステムをパーツごとに完コピする」という国家改造を始めます。
- 海軍は世界最強の「イギリス」を完コピ
- 陸軍と憲法は新興の軍事強国「ドイツ(プロイセン)」を完コピ
- 法律(民法など)は論理的な「フランス」を導入
- 郵便・銀行・学校制度は合理的な「アメリカ」を導入
アジアの国々が「伝統の誇り」に固執して滅びていく中、日本は「生き残るためなら、自分たちの文化すら西洋風に塗り替えてみせる」という極限の変わり身を見せました。
結末:わずか30年で「アジア唯一の列強」へ
プライドを捨てて強者をコピーし尽くした結果、日本はペリー来航からわずか数十年のうちに、不平等条約を撤廃させ、日清戦争・日露戦争に勝利して「アジア唯一の近代帝国」へと化けました。
「プライドに殉じて死ぬより、プライドを捨てて相手の技術を盗んで生き残る」。
幕末〜明治の変革は、日本という国のサバイバル本能がもっとも劇的に炸裂した瞬間でした。

